2007年08月20日

東京に”バカ”がいない理由5

転じると、イナカにはバカがいる、ということです。この評価はアタマの良し悪しではありません。ましてや資格・学歴でもありません。

男の介護という本には、作者が18歳で上京してきてタイトルのような感想を抱いたと書いてあります。それによりますと「バカ」とは、

○ フーテンの寅さんにだんご屋のおいちゃんが「このバカ」という感覚
のようなものだそうです。

こういうヒトは、ヒトにおだてられれば、ついその気になって割に合わないことやムリなことまでしでかす人物です。しかし世間のヒトは冷笑したりせずに、彼を愛し、認めて、ますますほめたりおだてたりするという関係です。

こういうヒトの最大の特徴は全て自分の考えと自分のリズムで生きている、ということです。こういう生き方は価値観の多様な都、東京では確かにやりにくいかも知れません。

そのことは生まれながらの東京人を見ると良く分かります。確かに彼らは洗練されているヒトも多いですが、長年の地域の暮らしで、その洗練を自分だけに合ったものに作り変えています。地方出身の初代東京人にはなかなか真似できない品の良さが彼らにはあります。

洗練は地方では「バカ」に置き換えられるものではないでしょうか。吉田松陰や高杉晋作、伊達政宗や島津義久なども、凡な発想を超えた”バカ”でした。東京はしかし初代イナカ者からすると、とてつもなく賢くまた冷たい都市に見えるのかも知れません。

それは東京への憧れがそうさせるものですね。奈良平安時代からミヤコはこんなものぞ、というステレオタイプは出来上がっていました。お上りさんはいろいろ苦しい目にあってココロにヨロイを張っていくものですが、生まれ着いてその土地で暮らすヒトはそんな必要がなく、”バカ”=洗練を保てるのです。

つまりどこでも地域に根を張った人の素質はいつの時代でも”バカ”なのです。東京の場合でも東京ジモティは”バカ”が洗練に置き換えられているだけの話です。”バカ”イコール親しみ易さや社会性と言えるでしょうか。悲しいかな初代イナカ者は”バカ”では1人で獅子舞をするようなもので、なかなかやりにくいのです。

東京に住んでもなるべく早く”バカ”のできるヒトになりたいものです。

issikikyurokusiki at 05:03│Comments(0)TrackBack(0)よしなしごと 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔