2007年08月11日

終戦まで陥ちなかったラバウル5

ラバウル

”ラバウル航空隊”として南方戦線の要になった日本軍の基地です。唄にまでなった要衝の地ですが、南から北へ侵攻したアメリカ軍はここを素通りし、フィリピン、サイパン、硫黄島、沖縄と北上していきました。

バヌアツにいたときには「ラバウルは壊滅した」と聞いて大いに驚いたことがありました。火山の噴火による降灰によるもので、戦後漁業基地だったラバウルは、港としての機能停止と聞きました。地理的には要衝の地ですが、気候風土はキツイのです。

ところで1943年以降、ラバウルから北が凄惨な戦場になる中、10万人の将兵がここに残されました。食糧・弾薬などを輸送しようにも海上権、制空権はアメリカ軍の手にあり、空襲がしょっちゅうあります。その他にも、

○ 疫病媒介昆虫の蚊が多い。殺虫剤DDTが世界に普及する以前の時代。原住民の寿命は短い。
○ 悪性種類のマラリア原虫による重度の熱帯マラリア、強いウイルスの悪性デング熱があり、予防薬キニーネの常用と治療薬アブダミンの備えは必須。
○ 傷口は熱帯性潰瘍にかかりやすく、熱帯アメーバ赤痢を予防するため水は飲料用に煮沸が必要。

こんな土地で、日本人はどう生き残ったでしょうか。

○ 延長150kmに及ぶ地下壕陣地で空襲に備え、全員が穴にもぐる。砲爆弾を改造して地雷を作製。
○ 熱帯なので二毛作が可能だが、陸稲より薩摩芋の方がカロリーが高いため、イモを栽培。
○ 必要耕作面積を割り出し、食糧を1日1,800カロリーとして半年耕作すれば自給自足可能と計算。
○ パパイヤの葉でタバコ、火山熱利用で製塩し味噌も作る。バナナの茎で製紙、マッチ、製氷設備も作る。
○ 破壊された飛行機の部品をかき集めて軍用機を作り、後方から偵察して情報を送る。

この結果、日本本土が焼け野原になっても、終戦までガンバリ通したのです。太平洋戦争は攻めて行って、マケた話しかないような感じがしますが、10万人もの人間を養う術を考えるくらいの生命力は十分あったのです。

南の島は意外に食べられるものは少ないです。耕地は開いてもすぐ雑草が生え、その辺りに生える植物は硬いものが多く、煮ても焼いても食糧にはし難いのです。平時ですら難しいのに、そんな中で戦争した先人は実にたくましく生き残りました。

太平洋戦争中の日本軍では銃弾で倒れた兵士より、傷病で倒れた兵士の方が多いのです。しかし日本人らしい細々とした工夫で救われたヒトも多いのです。

当時の指揮官は教育水準も高く、今日の「格差社会」とは比較にならないエリートでしたが、こういう知恵が出て、なおかつ下情に通じた人物が多かったことが分かります。もっとも戦争で負けたことで彼らは一斉に沈黙させられてしまったのが惜しいところです。

issikikyurokusiki at 05:05│Comments(0)TrackBack(1)南の島 

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1. アメーバ赤痢  [ クチコミコミュニケーション ]   2007年08月12日 20:15
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