2005年08月23日

日本軍と戦ったケネディ(下)3

魚雷艇は真っ二つに折られました。一方がしばらく浮いていたのが幸いして、即死者を除いて救助しましたが、間もなく折られたもう一方も沈没。

ケネディたちは近くの島に5キロを泳ぎました。ケネディ艇長は口で負傷した部下の救命胴衣のヒモをくわえて泳いだそうです。日本軍の残した糧食や椰子の実で食いつなぎましたが、このままでは日本軍がたどった運命のように餓えてしまいます。

ケネディは味方の艦船に会おうと何度も泳ぎましたが、その都度失敗しました。カヌーもありましたが、アメリカ人が敵艦のいる海に漕ぎ出すと、見つかればたちまち捕虜です。そこで、原住民にアメリカ軍の占領する島まで伝言をすることを思いつきました。椰子の実に「ここに生存している。原住民が場所を知っている」と英語で書き、託しました。



大きな賭けでしたが、大成功。最初の衝突で即死した2名を除き、重傷だった部下も含めて11人が救助されました。この椰子の実はケネディの大統領執務室に置かれてあったとか。この話はアメリカ軍が士気高揚のために伝説化し、ケネディは太平洋戦線のスターとなりました。

この出来事は後にケネディが大統領への道を進むのに大きな力になりました。何しろ、どんな友達でも、命を掛けて戦った「戦友」というものは強いのです。ケネディは海軍の人脈を十分に生かし、大統領になりました。

ケネディの前の大統領、アイゼンハワーはヨーロッパの英雄でしたが、またここに太平洋戦線の英雄が大統領になったのです。戦友は身内ばかりではありません。ケネディ艇を撃沈した当時の駆逐艦「天霧」の花見艦長以下、海軍将兵はケネディの上院議員選挙、大統領選挙に祝辞を送っています。

太平洋戦争中、日本にもこれくらいの生還話は、たくさんありました。しかし勝者の側である程度宣伝された「伝説」でも、やっぱり面白い話なのです。「戦友」と「伝説」の力は今においてもやっぱりあると思います。

issikikyurokusiki at 00:21│Comments(0)TrackBack(0)南の島 

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