2005年03月12日

旅行会社タマソ

更に幹線道路は海辺に出て、ポートビラ湾が20メートルほどの水辺に出てきます。その出た辺りにスラタ・タマソ・ツアーズがあります。先ほどのローランド社長の経営する旅行会社です。

バヌアツは観光立国なのですが、日本人の知名度はご存知の通りパッとしません。原因は交通の便が悪い、バヌアツ人はシャイで売込みが下手糞、などということが言われています。

ニ・バヌアツ人(黒人)の国営旅行会社がありましたが、なんと横領でつぶれました。「海辺に生えている椰子の実は誰のものでもない」論理でしょうか。バヌアツ人の、バヌアツ人による、バヌアツ人のための会社はバヌアツでは聞いたことがありません。

この通称「タマソ」はバヌアツ1の旅行会社です。バヌアツ最大の島、サント島(沖縄の4倍の広さ)にも支店があります。ローランド社長は祖父の代からのバヌアツ在住で白人ですが、トップが白人や外国人でないと、ここの会社はうまくいかないようです。現在は時代を反映してか、中国人が圧倒的です。小規模ながらチャイナ・タウンもあります。

アメリカの黒人も奴隷解放後、参政権を得てからしばらくは評判が悪かったです。しかしここ数十年中には黒人大統領が出るでしょう。1980年に独立したバヌアツもしばらくはこういう状態が続くでしょう。しかし、いつの日か、バヌアツ人の、バヌアツ人による、バヌアツ人のための国家ができることでしょう。

ちょっと話が横道にそれました。ツアーの内容については次の機会に。

issikikyurokusiki at 22:14|PermalinkComments(2)TrackBack(0)南の島 

2005年03月10日

ドロボウアパート

さあ幹線道路に沿ってポートビラ市街を目指しましょう。

山側は切り立った崖、海側は半島の緑とポートビラ湾が見え隠れします。そんな崖の中腹に「ガンジス・アパート」(仮名)という集合住宅があります。

このアパート、3階建て30室くらいの相当豪華な作りで、ローランド邸の後の下宿探しでも第一候補に挙がり、かつ、日本の青年海外協力隊が下宿に借り上げていたこともあります。内見しましたが、ビラ湾一望で、景色も最高です。

そんな良いところをなぜ止めたかというと、協力隊がドロボウに遭い、散々な目にあって出ていったという前歴があり、また、いざ入ろうという時に工事が全然できておらず、家主の管理が杜撰であることが発覚したからです。

確かに山側の扉はペコペコで、ガラス戸のない網戸を破れば外から手を回して入ることができ(!)、海側もベランダから侵入できます。

バヌアツは原始共産主義で、椰子の木になっている実は誰のものでもないという思想があります。ギスギスしない、のどかで良いともいえますが、お互いの所有権を主張しあう都市生活ではドロボウという犯罪行為になってしまいます。

バヌアツは治安の良い国ですが、コソ泥だけは少なくありません。

issikikyurokusiki at 20:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)南の島 

2005年03月08日

マラポア半島

それではローランド家を離れ、半島を下って元の幹線道路へ戻るとしましょう。

ローランド夫妻は旦那がテニス、奥さんがサイクリングと趣味が違います。私は自転車を持ち込んだので、奥さんとサイクリングをしました。

50歳近い奥さんは坂にかかるとすぐ押しますが、かなり遠くまで出かけます。そして、方々の知り合いに声をかけます。気が向くと付近の海にザブンと飛び込んでひと泳ぎです。

奥さんもフィジー人で、英語、フランス語、フィジー語、ヒンディー語(フィジーにはイギリスに連れてこられたインド人が多い)、ビスラマ語(バヌアツの土語)の5ヶ国語を操ります。「日本食はダイエットに良い」のだそうです。

「この葉は食べられる」「この団地は今や金持ちはいない」など、奥さんの地域解説は詳細ですが、一軒家には白人、集合住宅には黒人が住んでいるという構図がありました。奥さんも色は黒いのですが、その態度にはありありと現地人に対する軽侮の色がありました。

半島付近の海に黒い液体がにじみ出ている場所があります。それは何と、石油だそうです。筆者の貧弱な英語力のなせる業かもしれませんが、掘ってみれば大油田が見つかるかもしれません。そうなれば貧富の差別もなくなるでしょう。


issikikyurokusiki at 20:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)南の島 

2005年03月06日

ローランド家

ローランド家では食事つきでした。

朝はパンとコーヒーですが、パンは固いフランスパン、更にハムや野菜が出てきます。テラスで準備するのは朝一で起きる旦那さんの役割です。

昼は邸内にいれば夜の残り物や、ラーメンなどを自分で作って食べていました。

夜は高級なフランス料理というイメージでなく、蟹やニューカレドニアの鹿肉、野菜など、大皿にあるものを取って食べる形式です。その方が、残った場合に再利用し易いからです。しかし残り物など食うと腹痛を良く起こしました。

蟹の場合はフィンガーボールがつきます。鹿肉は硬く、蟹も労力の割には食うところが日本の蟹の半分以下のような感じ。満腹感は少ないですが、割とあっさりした感じの食事が多かったです。社長の釣果の刺身が出たこともあります。但し私がほとんど食って、他の人々は余り食わなかったように見えました。

ただし、30年日本に親しんできた腹ではバヌアツの一般家庭食はきつかったようで、2ヶ月経つと何を食っても下痢という状態になりました。這うように日本人レストランへ行き、卵丼など食べると、薬を飲んだわけでもないのにたちまち全快しました。

バヌアツ人の伝統的な食事も後述しますが、こういう南の島でヨーロッパ的食習慣をそのまま持ち込んだ食生活は新人にはきついですね。冷蔵庫に入れておけば良いというものでなく、常夏の島は食物の傷み方も早いです。

issikikyurokusiki at 21:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)南の島 

2005年03月04日

ローランド家

ローランド家の家族は夫妻の他、
4歳になる息子がいました。

白人の夫とフィジー人の奥さんとの間の子は
黒い肌です。私に絵を書いて見せたり、
夫妻の不在時に私が帰って来ると、
寂しさの余り抱きついてきたりと、
物怖じしない天衣無縫な子供です。

夫妻の長女は既に結婚し、7歳になる子供がいます。
つまり、4歳の叔父と7歳の甥ということになります。
年取ってから生まれた子はかわいいといいますが、
夫妻は子供の教育にムチを緩めません。

食事の際にモノをこぼしたりすると
容赦なく食卓から退場させられ、
大人が静かにしているところではしゃぐと
容赦なくひっ吊るされて尻を叩かれます。

白人に限らずバヌアツの幼児教育は厳しいです。
どんなに貧しい人でも大人に無礼を働くと
容赦なくぶっ叩かれます。
しかしアザだらけというのは勿論ありません。

日本の教育の現状は結局、文明論に行き着くのでしょうか?
閉鎖空間でもダメだし、余りに外界に開けっぴろげでも困ります。
ただ、そう考えること自体、教育が分かっていないとも言えるでしょう。


issikikyurokusiki at 21:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)南の島